コラム

暦のお話

社日について

福岡県神社庁の暦において、掲載されている暦選日の一つに「社日」があります。
社日とは、年二回春と秋とにあり、この日、社日神が、春に山から下りてこられ秋に山へと戻られるといわれて、県内の地域によっては、神社や個人の家や、里ごとや隣組ごとに、お祀りされていたりでこの日神事が行われ、神職さんが朝から走り回っているそんな話も耳にします。
また、博多の町では、この日筥崎宮のお潮井とりが行われる日としてご存じのかたも多いのではないかと思います。
ちなみに社日は年二回あるのですが、俳諧では春の季語です。

さて、この社日、数年に一度市販の暦と、神社庁の暦で日にちが異なる現象が起きてしまいます。
実は令和6年3月の春社日が神社暦と、皆様が年末に準備されるであろう壁掛けのカレンダーと異なる現象がおきることが予想できるのです。困りますね。
やっと本題ですが、なぜこのような現象がおきるのか。私見ではありますが考察してみたいと思います。

社日は、春分、秋分の日にもっとも近い戊(つちのえ)の日と決められていますが、これが前後同じ日数となることがよく起きるのです。
となると、こういう場合どうするのか、決めなければなりません。そこで、まずは同じ日数の場合は、前の方にすると、決められました。
これは、おそらくまだまだ原始的な天文観測の時代に決められたことでしょう。やがては天文観測も発展し、当然いろいろな問題も起き、定義も改定されていきます。(実際何度も改暦は行われています。)
太陽が春分点を通過する日が、春分の日ですが、この通過時間が当初より正確にわかるようになったと思います。
そこで、前述の定義に春分点通過時刻が、午前ならば前の戊の日、午後ならば後ろの戊の日という条件が明治14年にできているのです。より近い日がわかったからでしょうかね。
今回、ネットにて国立天文台の「暦Wiki」の中に記載があるのを見つけました。
社日の件は、国立天文台のサイトに記載の通り、当時それが国の基準になったといえるのではないでしょうか。「暦Wiki」【雑節とは~】 

問題は、なぜこれが巷に広がらないのでしょう。
各種暦解説本は、どうやらここを見落としているようです。
私のてもとにあるもの数冊調べ直したのですが、すべて明治7年までの定義である、前をとる方式が記されております。
これらを見てカレンダーを作れば異なる暦はできあがりますよね。
百科辞典、広辞苑すべて書かれておりません。長く情報が更新されていないのが残念ですね。
あくまで私見ですが、このあたりが、今回の件の要因ではないかと推測しております。
(ほかに何か、理由をご存じの方はお知らせいただければと思います。)

これは、戦前ならば、国が有識者会議でも開いて検討すべきことかもしれませんが、干支についてや宗教色の強い社日は、現在国がどうこうすることはないでしょう。
ただ、伊勢神宮の神宮暦は、明治時代には我が国の唯一正式な暦ですから官製暦といえます。
現在でも神宮暦はその基準を継承し編纂されており、福岡県神社庁の暦も、現在同じ基準で編纂されております。

是非県内の社日の神様のお祀りは、神社庁暦に記された日にちで行ってください。

実はまだまだ暦がかかえる問題は社日以外にもあり、先にも書いたように、有識者で検討していただきたいことは多々ございますが、これらはまた機会があれば書きたいと思います。

 

 


暦に関する与太話。
 神社で頒布されている暦。
実は、福岡県では余りなじみが無いと思いますが、伊勢神宮も暦を頒布しています。
伊勢神宮の暦は、明治の改暦以降戦前まで、この国の基準となる暦でした。
というより、一般の出版社は暦の販売ができなかったのです。
 伊勢神宮の暦には、旧暦も、大安仏滅のような六曜も、ましてや九星の占いも掲載されておりません。
 しかし、さすがに暦を受けた方々からの不便の声が多かったのか、近年では、別紙で六曜と旧暦が一覧表として付録となっているようです。
 実は六曜を気にするのは戦後、集団就職で都会に出た人たちが結婚するころ、都内の結婚式場が日曜日に式が集中して大変なことから分散させるために考えたといわれています。
 そもそも伊勢神宮の暦に大安仏滅がないですから、さほど気にする人はいなかったのかもしれません。
 ですが、戦後自由に暦が出版できると、現在のように本屋さんに年末にいけば、高島暦やいろいろな占い系の暦が並んでいます。
 それらは、お日柄の善し悪しや占いなど、人気のある内容が掲載されており、売り上げを伸ばすにはしかたないのですが、それが人心を惑わすということで、伊勢神宮の暦には占いなどがなく、国が暦を民間に作成させなかった理由のようです。しかし、実際は発禁を恐れずたくさんの暦が出回っていたようです。
 我が国は、旧暦を用いないので、気づかれていない方も多いかと思いますが、旧暦の基準が実はそろそろ怪しくなります。その辺りは、旧暦2033年問題とネットで検索すれば出てきますが、江戸時代までは数十年から数百年に一度、暦に不都合が出てくると改暦して、整合性を整えていましたが、今では国は旧暦には知らん顔です。
 しかし、明治以降まったく改暦がないかというと、、、、。
細かいことをいうと、今から100年たたないくらいの98、9年前、それまではお昼の12時に日付が変わっていたのが、夜の12時となりました。
それは、重要だ、細かくないって!? ですが、このことが、生活に影響ある改暦かどうか調べようがないのですよ。
しかし、ウィキペディアにでてくる事実。

以上頭にうかんだことを書いたので、正確か否かはしりませんよ?
だって与太話ですから。

 

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