コラム

②忌中の考え方、服忌表、罪ケガレと清め塩について

◇罪ケガレと清め塩について

日本古来の神道では、死が非常に危険で神聖なものであるとされました。神話には、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が、亡くなり黄泉の国へ去った伊邪那美命(いざなみのみこと)を連れ戻そうとして、その変わり果てた姿に逃げ帰り、日向の阿波岐原の河海にて禊祓(みそぎはらい)する話があります。この場合の罪ケガレは、伊邪那岐命が悲嘆の末禁忌をいくつも破ったことと、腐敗する遺体に対して「自分が感じた感覚」だったと言えるでしょう。
私たちの祖先は、「自分を」祓い清めるひとつの形として、塩をつかってお清めをし、これが民族的な習慣・習俗として続けられてきました。「けがれ」とは「気枯れ」ともいわれています。人が亡くなって悲しみ嘆き、「気」が「枯れてしまった」特別な状態や、普段と違う状況のことをいいます。葬儀においては遺族が喪服を着て喪に服しますが、次第に元の状態に戻さなくてはなりません。そこに清浄(正常)な状態に戻るための「清め」があるのです。参列者が帰宅時に自分の身に対して「清め塩」を用いるのもその一つの方法です。
日本人にとって、罪ケガレとは、一定の期間や儀式を経て、取り除くことができるものという感覚なのです。
福岡県では「お潮井」といって海や川の水の代わりに砂を汲んで来て、玄関先などに置き、出掛ける前や帰宅時に、安全と無事を祈念して足元など身体に振りかけます。

 

注:明治7年太政官布告の制度
この表は血族の場合を示してあり、姻族の場合はこれよりおよそ一段下げるのがふつうである。

 

⑥神道のご葬儀、祖霊のまつり

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